2013年5月18日土曜日

長崎をぶらり散策⑤ 平和の祈りをささげる教会堂「浦上天主堂」

聖福寺を後して、私は次の目的地である「浦上」に向かうためトラムに乗った。松山町駅で下車し、その建物のある方向へ歩いていった。暫くすると、丘の上に美しい赤レンガ造りの聖堂が見えてきた。ここは、長崎市の観光名所のひとつにもなっており、一般的には浦上天主堂の名で知られている。この近辺は、歴史的にカトリック信者の多い土地で、信者達は江戸時代には、異教禁令により幾多の苦難を強いられていた。大正15年に、浦上の信者たちの33年に及ぶ奉仕で最初の立派な天主堂が完成した。 赤レンガ造りのロマネスク式の教会は当時東洋一と言われてらしい。しかし残念ながら、昭和20年の原爆により、教会は廃墟と化し、教会に来ていた信徒約30数人が全員死亡し、 12,000人の信徒のうち8,500人が被爆死したといわれている。
現在の聖堂は、昭和34年に当時と同じ方式で再建、昭和55年に改築され現在に至る。ちょうどこの天主堂の脇には、原爆で焼かれた天子像を見ることができ る。当時の悲惨な状況を今に伝えるまさに歴史の証人といえるだろう。首を失った天子像の前には、平和への願いのシンボルである「折鶴」が手向けられてい る。最近、日本でも、一部の人々達が「日本も核を武装すべきだ」と唱えているが、私は賛同できない。唯一の被爆国である私たちが世界に伝えるべきことは何かを、もう一度改めて私たち日本人は考えるべきだと思う。 天主堂のある坂を下ったところに、原爆によって吹き飛ばされた鐘楼(アンジェラスの鐘)が現在でも現地で保存されている。そして、2つあったもう片方のアンジェラスの鐘は原爆の爆風に耐え今の浦上天主堂でも使用され時を告げているのである。
















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