最初に訪れたのは、「日本二十六聖人殉教地」だ。長崎駅前から徒歩で約10分ほどの丘にある。
朝9時前ということで、観光客は殆どいなかった。1597年2月5日(慶長元年12月19日)、
豊臣秀吉はフランシスコ会の宣教活動をキリスト禁教令に対して挑発的である考え、京都奉行の石田三成に命じて、京都に住むフランシスコ会員とキリスト教徒全員を捕縛して処刑するよう命じた。
これは秀吉の命令によって長崎で処刑された26人のカトリック信者を慰霊する殉教碑である。今回初めて、この地を訪れることが出来た。学生時代、日本史の歴史の授業で、豊臣秀吉による大規模なキリシタン迫害が行われた
ということを習った。だが、その詳細については殆ど授業で取上げられることはない。キリスト教徒以外の日本人は、あまりこの史実を知らない。外国人宣教師
6人と子供を含む26人がこの丘で命を絶たれたのである。
朝9時前ということで、観光客は殆どいなかった。
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