2013年5月18日土曜日

長崎をぶらり散策⑥ 忘れてはいけないこと 平和公園

次に私が訪れたのは、浦上天主堂から歩いて10分程のところにある、「平和公園地区」。第二次大戦において、広島に次いで原子爆弾が投下されたところであ る。私が訪れたのは、土曜日の午前中だったが、修学旅行で訪れた中学生のグループや外国からの観光客が見学をしていた。この公園は松山町の高台にある。 以前私が訪れた時にはなかったのだが、今回来てみると、「平和の歩道」と呼ばれるエスカレーターが出来ていて、とても便利になっていた。そのエスカレー ターを使って高台に上ると、平和公園の入口が見えてくる。最初に見えてくるのは、「平和の泉」という大きな噴水広場だ。この円形の泉は、原爆のため体内まで焼けただれた「水をください、水をください」とうめき叫びながら死んでいった犠牲者の霊に水を捧げて、めい福を祈り、世界恒久平 和と核兵器廃絶の願いを込めて浄財を募り建設されたものである。噴水の正面には、水を求めてさまよった少女の手記「のどが乾いてたまりませんでした 水にはあぶらのようなものが一面に浮いていました どうしても水が欲しくて とうとうあぶらの浮いたまま飲みました」が刻まれている。





さ らに奥に進んでいくと、平和祈念像が見える。公園中央に立つ、このブロンズ像は高さ9.7m重さ30t。右手を天に向かって指し、左手は水平に伸ばしてい る。その意味するところは、右手で凄まじい原爆の脅威を、左手で平和を示しているそうである。ブロンズ像の目は、犠牲者に対する冥福を祈る姿勢を表している。





平和祈念像が ある高台から下ったところに、「原子爆弾落下中心地碑」がある。194589日、午前112分、まさにこの碑の上空500mの地点で、原子爆弾が爆発した。爆発直後の温度は摂氏数百万度であったと言われ、恐ろしい火の玉が、長崎の街を覆いつくし、廃墟へと変えてしまった。この塔の前に立ち、当時何げ なく普段通りの生活をしていた人々が、一瞬にして地獄に叩きおとされたことを考えると胸が張り裂けそうな気持ちになる。戦争に正義などない。

動員学徒の碑・長崎の鐘  原爆投下後、33回忌を迎えるにあたり、動員学徒、女子挺身隊、徴用工、一般市民の原爆殉難者の冥福を祈り、あのようなむごい 原子爆弾が、再びこの地球で炸裂しないためにも、この鐘を鳴らし続けて恒久平和の確立を世界の人々に訴えるため建立したもの




そのすぐ傍にあるのが、旧浦上天主堂遺壁。原爆によって、旧浦上天主堂は壊滅したが、残った遺構のうち、その一部が、ここに移築されている。壁上の石像はザベリオと使徒。



この公園の敷地内に流れる川岸に、被爆当時の地層を当時のまま保存・公開している場所がある。今回初めて見た。屋根の瓦、レンガ、熱線で溶けたガラス、割れた茶碗など、当時の凄惨な状況を今に伝えるものだった。 

 

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